上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
前回に引き続き北京旅行の旅です。

オリンピックやそれに付随する国政の関係もあってか
街は大きなマンションや広い道路・地下鉄などか整備されていました。
むしろ整頓されすぎた街という印象



そんな中にも、低層の商店や市場が建ち並ぶ一角があり
下町を見るのも旅の醍醐味と、街の最深部へ踏み込みました。





市場で売っている店員、小さな八百屋や肉屋、飲食店
ここには観光客を見つけて、売り込みに来る人は全くいない
ここで生活する人たちが利用する場そのものだと
道は悪いし、あまり衛生的ではないように見えますが
どことなく落ち着くところでした。


続きはmoreへ
深夜の北京探索も終わり、そろそろホテルへ帰ろうと思ったところで
自分達が地図を持っていないことに気づきました。
碁盤の目状に整備された町で、高層の似たようなマンションが立ち並ぶ場所にいると
自分がどの位置にいるか、どこに向かえばいいのか分らなくなります。

とりあえずタクシーを捕まえて、ホテルまで帰ろうとしましたが
ここで言語の壁にぶつかりました。
観光地やレストランでは日本語が通じる
問題なのは、駅や街中、タクシーで英語も日本語も通じないという事です。

かろうじて地下鉄(現地では地鉄)の駅は見つけたものの
駅員にここからホテルの近くの駅までどうやれば帰れるのか
中国語で聞かなければならないというミッションが。。

確か中国の文法は英語と同じはず!(うろ覚え)
我・愛・弥=I・love・you
この原理から行くと
We・want・go・to・○○station=我・欲・行・○○站
これでどうだ!!

こんな筆談やり取りで何とかホテルへ帰って来れました。



生粋の日本人である自分は、もちろん英語がカタコトです。
そんな私ですが、いくつかの国に行った時は
どれも自分の英語が(多少なりとも)通じました。(と思っている)

中国の人は、見た目が日本人と同じです。
しかし通じる言葉がないだけで、とても距離を感じます。
ホテルの朝食で話ができたベルギーの人の方が
見た目は全く違うのに、会話が成り立つということだけで
親しみを感じました。

それだけに会話が成り立つということは、とても大切な事なのかと

初めに言葉ありき、
言葉は神と共にありき、
言葉は神であった

新約聖書にこんな一節があったと思います。
言葉のやり取りは日常の中の行為というだけではなく
会話によるコミュニケーションとは、一つの創造なのかなと

中国・北京
距離は近いのに、欧州より遠い国のように感じた
そんな3日間でした。
2007.12.07 / うず /
Secret

TrackBackURL
→http://exhibitionmap.blog11.fc2.com/tb.php/162-7a2d3012
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。