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どうも今週は自分の番のような気がするので、何か書きます。

先週、東浩紀の「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」という本を買いました。
で、まだ半分くらいしか読んでないのですが、現段階で分かったことについて、ちょっとまとめてみようかと思います。

この本はライトノベルと呼ばれる小説が、一体どんなものなのかということを、著者なりにいろいろまとめた本で、前半では、ライトノベルの定義やその特徴からはじまって、登場した社会的背景だとか、歴史的な必然性だとかを語っています。

で、それを簡単にまとめると──要は、高度経済成長以降、人々が、マンガやアニメやゲームなんかに触れる時間が増えていき、マンガやアニメやゲームに触れた経験を共有することを前提とした小説として出てきたのがライトノベルということだと理解しました。

この本では、ライトノベルとその周辺についてしか語っていませんが、この歴史的な流れは、もっと一般化できる話しだと感じました。

文明が発達し暮らしにゆとりが生まれるとともに、情報技術が発展することによって、人々は、自分の村のことと、少しの神話や民話しか知らなかったような状況から、世界中の出来事、文学、音楽、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、マンガなどなどありとあらゆる情報にアクセスでき、かつそれらを存分に楽しむことができるようになった。この流れは、今後もさらに進んでいくものと思われます。
すると、人々は自身の生活とは直接関係ない小説や映画など、ある種のバーチャルな世界に多くの時間、身を投じることとなります。

このような社会の変化を背景とし、小説だけでなく、様々なジャンルの芸術作品すべてが、現実世界だけでなく、バーチャルな世界での経験の共有を前提とした表現となっていくものと考えられます。

例えば海外では、ゲームの世界を題材にした絵画や小説の出現がニュースで取り上げられています。(その翻訳記事(1)(2)
(そこからの引用)「『Half-Life』の世界で何十時間も歩き、戦い、さらに数千時間をほかのゲームに費やした結果、ゲームの世界が現実と同じくらい「リアル」になった。その世界を描かない理由などあるだろうか?」
この記事からも、今の世の中がどのような方向に向かっているのかが、理解できるのではないでしょうか。

とにかく、現代の我々の持つ「世界認識」というか「リアル」が、いま、ものすごく大きく変化しているようなそんな漠然としたイメージを感じている今日この頃なのでした。

おわり
2007.10.13 / かと /
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