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6月15日発売のPenで特集され、国立近代美術館で現在、展覧会が行われている、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真がすごい。

今日、国立近代美術館へ行って見てきたのだが、とにかくすごかった。
Penの見出しに「日常をアートに変えた写真家」とあるように、彼の撮る写真は、何気ない日常の1コマを、非常に完成度の高い、1つの作品として見事に切り取っている。
美しい構図もさることながら、そこに写る、壁の落書きや看板、遠くの建物、雑多な物品、そして、そこに暮らす人々の仕草や表情といった、様々な要素が、ひとつとなって、人々のドラマやその背後にある社会、物語あるいは世界といった、大きく、深いイメージを見る物にあたえ、どの作品もいつまでも見ていたいと思えてくる。

また、彼はヨーロッパ、アメリカ、インド、中国、ソビエト、日本等々、さまざまな国にわたり、それぞれの国の人々の生活を撮っている。それぞれの写真から、それぞれの国のそれぞれの時代に生きる人間たちの様々な営みを垣間見ることができ、それらによって、展示会全体として、この地球上に生きる人間という存在のありのままの姿がリアルに表現されているように感じた。

つまるとこ、何気ない日常の集積によって、その背後に広がる、世界という大きなものの存在を見事に表現する、とてもスケールの大きな展示会であった。

自分も、これくらい深く広がりのあるイメージを与えることができるような絵が描けるようになれればと思う。


その後、ノマディック美術館の「ashes and anow」を見たのだが、アンリ・カルティエ=ブレッソンを見たあとではちょっと霞んでしまう。よく頑張ってるのは伝わるんだけれど、もう一つという感じ。写真の作品の方は、まだ、世界観や物語が感じられて良いんだけども、映像の方は、ドキュメンタリーのような妙なリアリティーが感じられて、彼の作品の持ち味であるところの、ファンタジー感が薄れているのに、人や動物を、無理に神秘的なものに見せようとしているような印象を受けて、あまり好きではなかった。残念。


さて、話しは変わって、自分のこと。
大学院を卒業してから、今まで3ヶ月くらいのんびり気ままにやって来たが、7月っからようやく働くことになりました。
残りあと1週間ちょい。どう有意義に過ごしたものか。
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2007.06.21 / かと /
澄んだ蒼い空に白い雲
日に日に強くなる日差しと肌に感じる暑さが
夏の景色を映し出してきました。

こんばんわ渦波です。

曇り空に日の光、突然の雨
天気予報も当てにならないそんな毎日
みなさん元気にお過ごしでしょうか?

雨や風、そして日射しを強く感じる時期になってきました。
大雨のせいで予定が狂ったり、あまりの暑さにバテたり
自然の力には抗うことが出来ないな なんて思います。
今回そんな不思議な神様のお話(宗教の話ではありません)

先日友人とお台場でやっているノマディック美術館に行ってきました。
まるで神殿のような空間の中で、降臨の儀式を行っているような空気
そして内部は
撮 影 禁 止

古来より、人間はさまざまな自然現象を見えない何かの大きな力
すなわち「神」の仕業と考えてきたようです(たぶん)
洪水のおこる川を鎮めるために生贄を奉げたり なんて話は有名ですが
太陽のことを「お日さま」とか「お天道様」なんて言うのも
そんな名残りからくるものなんだと思います。

宗教や民俗学に詳しい訳ではないのですが
いつもそこにある光や風、土や木々のにおい
私たちがそこにいて見て感じている風景そのすべてが
自分を作り出した神様なんて考え方はどうでしょう?

手に届かない存在・全知全能の存在
神様というと、そんなイメージでとらえがちですが
案外、私たちはたくさん神様に囲まれて毎日を過ごしている
そんな風に思っていると、神様も身近に感じられます。

話は変わって、他人のことを詩人とか言っていた亀崎さんが
『自分の中にある風景であり、自分が見たいと思っている風景』云々と
とっても詩人な話をしています。
つまるところ、作品を作るっていうのは神様のマネごとをしているのかも知れないと
思ったり思わなかったり

私は仕事で建築の設計をやっています。
先日自分が設計に関わった建物が完成しました。
自分の設計した建物が完成し、やがて風景になるってことは
それもまた神様のマネごとなのかも。。

カミサマ
きっとそれは誰もが見ている誰も知らないもの
2007.06.12 / うず /
まず、先日5月25・26日に開催された、MAP 4th exhibition 『apartment』に御来場下さいました皆様、どうも有難うございました!
心より御礼申し上げます。

やっぱり展示会って楽しい。
もう自分はヤミツキなんだなぁと感じます。


さて、展示会最終日、打ち上げの席でそれぞれの作品に感想を言い合ったり、意見交換をしたりして、改めて自分の描きたいものって何なのかな、と考えさせられました。
『Terminal』の直後のblogにも、その辺について考えた事は書いたのですが、やっぱり何度でもこね回すテーマではあって。

常に自分自身感じてるのは、やっぱりどう考えても自分の作品は薄いなって事。
技術が足りないのもあるけど、そうじゃなくて、『伝えたくて堪らない何か』の為の手段としての絵ではない、んだよな……。
多分絵ってものは、その辺が深さや味になるんだろうけど、私のは所詮趣味って事なのかな、と思ったり、いやでもそれじゃぁ展示をしたがる衝動の説明には不足だよな、と思ったり。
前も書いたけど、私の主なモチベーションって、『自分の中にある風景であり、自分が見たいと思っている風景』で、伝えたい事が先にあって、そのためにモチーフを選んだり構成を考えたりはしていないのです。
逆に、絵を描いてからタイトルをつける段になって初めて、その絵の由来とか表現したい事に思い巡らす感じ。
でもそれはこじつけでは絶対なくて。
これはどういう事なんだろう……。
言葉に出来ないから絵なんだと言えばそうなのかもしれないけれど。

そんなどうどう巡りに占拠されている時、ふと思い出される記憶。

「ずっと見たかった絵を、やっとかめちゃんが描いてくれた気がする……」

その言葉をくれたのは、高校時代の級友。
美術の時間で、アクリル画を課題にされた時でした。
私が描いていたのは、薄紫の夕暮れに、蓮華の花畑が広がっていて、そこから色の薄い蝶の群れが舞い上がり、天頂の白い三日月に向かって吸い込まれていく……という風景。

意味なんてない。
ただずっと自分の中にあっただけの風景。
今だってどこをはたいてもその絵に関する高尚な解説なんてものは見当たらない。
でも、彼女はその絵を長いこと見つめた後、言葉を選んで、静かにそう言ってくれたのです。

あの時自分が何て返答したのか、もう忘れてしまったけど、亜理沙ちゃん、あの一言が私の自信と誇りになってるんだよ。

あぁそうか。
私は共感して欲しいのかもしれないな。
うんそうか、そうかも。
『私はこういうのを綺麗だと思ってる』とか、
『こんな風な気持ちになる時がある』とか、そういう事。

うんうん、いいね。
別に理由や資格なんてなくても絵は描けるけど、そこで働いてる心理について考えるのは楽しい。
夢占いみたいな感じ。
こんな自己満足な話、読む方は楽しくないかもしれないけど(笑)
まぁ、blogは日記だからよしとしよう。
2007.06.09 / かめ /
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